2010年11月21日

分離唱を進化させる

舞.jpg

あっという間に1月近く経過しましたね。
こんな記事でも楽しみにして下さっている方にはお待たせで申し訳ありません。
管理人室からアクセス状況を見ているとこの1年ほど、24時間の内1時間も
0人という事がないようです。
検索ページから見てくださっている方が多いようで、記事数が多い事が
アクセスに繋がる事がよくわかります。
有り難いことだと喜んでおります。


新入りさん練習風景にも書いたように、レッスンの一番初めに「分離唱」をしています。
まずは集中が出来ないとこの後に続くレッスン項目が進みませんからね。
これはボイトレであろうが、ピアノであろうが省略することはありません。
西洋音楽は和音で出来ていますから、この感覚を身体に浸透させなくては
いけませんから。

個人差があってなかなか出来ない人もいますけれど、さすがに何年も続けると
和音に含まれる音が聞こえてくるようになります。
和音を鳴らした途端に出来るようになった人には少し進めます。

以前は何十種類も和音を鳴らしていた時期がありましたが、
最近はとにかく基本の3種類だけにしています。
沢山鳴らしても方法は結局同じですからね。

基本はコードネームのC(つまりドミソ)とF(ドファラ)、G(シレソ)です。

第一段階は例えばCを鳴らしてドを歌います。(但しドイツ音名で歌いますが)
次にCを構成する音であるミかソをピアノを鳴らさずに歌います。
頭の中で和音を鳴らす練習ですね。

第二段階は
和音を見て頂いたらわかるように重複したドとソの音がありますね。
これを手がかりにして例えばCを鳴らしてドを歌わせて、ピアノを鳴らさずに
Fを構成する音を指定します。

初めはうまくいかないのでFの中のドを歌います。
そこからファかラを取るという方法です。
出来るようになるといきなりCのドからFのラを取るようにします。

もちろんドレミファ・・・と音を繰ったりは禁止です。
あくまで和音のイメージを持つための練習なのですから。


絶対音感を持つ人ならいきなりドを指定したら歌えますが、
それはあくまでその音が歌えるだけの事であって、和音感覚には繋がりません。


第三段階は
CのドからGのレを歌います。
確かに音程は2度なので歌いやすいですが、ちゃんと頭の中でGからの経由ですよ。

段階を追うごとにCのドとFのドは同じ音でもニュアンスが違う、
という理解が深まって純粋な1音を出せるようになってきます。

これが確実に出来るようになると「脳内カラオケ」も出来て、
伴奏無しでも音が狂うことはありません。
例えば「コールユーブンゲン」などには抜群の効果を発揮します。

それに伴奏を構成する和音にも溶け込む事が自然に身に付きます。
歌っていて音が外れる事は良くありますが、耳が鋭くなるので
注意深く伴奏を聴くという習慣も身に付きます。

西洋音楽を楽しむ人には必須の練習でしょう。



posted by キミコ at 18:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌 関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月02日

歌の実践練習

粉粧楼2.jpg

私は確かにボイストレーニングの教師をしています。
かといって、発声練習に終止しているわけでもありません。
ある程度歌うために使う筋肉が整ったら実践で歌う練習も始めます。

例えば、学校での教科書だけで語学力がアップするわけではありません。
スポーツジムで身体をムキムキに鍛えたとしても、日常に役立つのは
他人様の目の保養の材料になること位ですか。
ピアノの練習曲をいくら万全に弾けたからといって、ベートーベンや
ショパンやブラームスが満足に弾けるでしょうか。

所詮発声練習は発声練習でしかありません。
実地に歌えないと何の意味も成さないのです。

発声練習では拾えない音型の練習にもなりますし、実際の楽曲ともなると
一段と意欲も出てこようというものなのです。
フレーズの処理や息継ぎも発声練習だけではカバーし切れません。

かといって、歌さえ歌えれば良いと余りに先を急ぎたがる人も居て
これも困ったものです。
過程を楽しむ余裕がなければ歌も浅いものにしかなりません。
今の世の中じっくり取り組む事が出来にくいのでしょうか。

実際の楽曲からは実に色々な事が読み取れます。
単にうまく歌えることだけでなく、作曲者や作詞者からの
メッセージを注意深く読み取る事も練習の内になります。

後は私がその楽しさをどれだけ伝えられるかという事に
かかってきますね。
それには率先して私が楽しむ事でもあるのです。
良い曲というものは何百回も歌っても益々楽しくなってきます。
生徒さん達に名曲をかぎ分ける力もつけて頂きたいですね。

ラベル:発声練習
posted by キミコ at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌 関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月16日

コードネームのすすめ

ブルームーン2.jpg


お久しぶりです。
思い浮かぶと一日の内にいくらでも更新したくなりますが、
何も出ないとずっと書くことがない私です。

今ある歌手の歌を聴いていてちょっとネタが浮かびました。

私のようにクラシックではコードネームの付いた楽譜は
まあ殆どありません。
しかしボイストレーナーを始めて色々なジャンルの生徒さんが
増えるに従い、どうしても覚える必要が出てきました。
今でこそ色んなジャンルの曲の伴奏をしますので困ることも
なくなりましたが、当初は簡単なスリーコードさえ
おぼつかないほどひどいものでした。
でもちゃんと獲得出来て良かったと思いました。

何が一番便利かというと和音の色合いを頭に描ける事でしょう。
例えば赤だって血のような赤とか、くすんだ赤とか、
夕焼けの赤とか、一言では正確に言い表せませんね。

和音にも色合いや彩度、明度があります。
晴れた空のような長三和音(メジャーコード)、曇った短三和音や
(マイナーコード)など和音の数が増えるに従い、どんどん深みを増し
色合いも複雑になっていきます。
まあそれぞれについてはここは書く場所ではないので調べて頂くとして。

つまり、たとえクラシックのジャンルでコードネームが書かれて
いないとしてもその知識は絶対に必要なのです。

なぜなら、作曲家や作詞家は自分の曲で一番聞かせたい箇所には
複雑なコードや、その周辺を周りとは違う流れにしているからなのです

それが見える、または聞こえてくる程度までは勉強をする必要がありますね。

その色合いを覚えることで自分なりの歌詞の解釈がつくからなのです。
その色合いを考えずに歌っている歌手もとても多いのです。
せっかく関わった歌にアプローチしないなんて勿体ないではありませんか。

今日私をこうして書かせた歌手はそれは素晴らしい色合いの声で
聞かせてくれましたよ。
歌う人生を選び、生活の糧を得ているのならば、こうであってほしいなと
思わせてくれた歌でした。

ステキな色合いで聞く人の心を彩って欲しいです。
posted by キミコ at 14:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌 関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月18日

フレーズの語尾

210723436_85.jpg

ジムの帰りにいつも聞くラジオ番組があります。
別に積極的に聞いている訳でもないし題名も知りません。
決まった時間帯に帰るので聞いてしまうだけです。
NHKFMの17:15辺りから始まる音楽番組です。

1放送に1人分日本人歌手の歌を10曲ほど流します。
時代もジャンルも様々ですが興味深く聞いています。
ジャンルといってもJポップスとか演歌とかシャンソンとか
そんな類ですが。
顔が見えないからいやでも力量や歌い方がわかります。

昨日は加藤登紀子さんでした。
この人の歌は聞いていて気持ちが良いです。
一声出すだけでふわっと匂い立つような雰囲気があります。
恐ろしく自然体なのになぜか説得されてしまうのですよね。

と、失礼ながら別に推薦文を書いている訳ではないのです。
どうしてそう思わせられるのかをじっと聞いて考えてみました。

息を吸って吐き終わるまでの間の息の勢いがそう思わせることに
気が付きました。
柔らかく歌い出した息の勢いを最大量を10としたら、
彼女は6位でしょうか。まあ歌にも寄りますが・・・
その位から息で押すことなく吐き終わりは2か3でしょうか。
勿論フレーズの長さや歌詞にも寄りますよ。
押しつけることのない息が心地よさを誘うように思いました。
声も自然に揺らめくので漂うような感じもそう思わせるのでしょうね。

オペラのアリアなど元々マイクもないので、1曲の中でフレーズの
歌い出しも歌い納めもマックスのままという曲が多いのです。
つまり10から10といった所でしょうか。
きちんと声を届かせなければならない事もそうさせる原因ではあります。

歌の初心者はとにかく最大の声で押しまくります。
もしくは押しまくろうとします。(無理ですが)
大きな声で歌えば思いが届くとでも思っているような。

歌の様子が段々見えてきた人にはそういった事も考慮に入れて
歌ってみてはいかがでしょうか。
どのフレーズも同じ調子で歌い出して歌い収めていませんか?

posted by キミコ at 23:33| Comment(4) | TrackBack(0) | 歌 関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月17日

体が楽器です

165826685_225.jpg

と、これまで何度も説明してきました。
歌うという行為は自分の体を楽器として扱う事なのです。
ずっと読んで頂いている方には「まだ言ってるのか」と思われるでしょうが、
歌い出すとそんなことなんてすっかり忘れるだろうなと思います。
事実私も同じなんですから。笑
でもこれだけ皆さんに言えば、すなわち自分に言ってるのと同じ事なので
さすがにこれをすっかり忘れるということは無くなりました。

さて前回も前々回も「体を操作する」と書いています。
実はちょっと自分が書いた言葉に引っかかっています。
「体を操作」するなんて僭越かもしれないなあなんて・・・

車を運転するなら「操作」は確かにしますけれど、考えてみて下さい。
人は機械ではありません。
ある意味「操作」より「自分と仲良くする」かもしれません。

例えば「病気と仲良くする」という考え方があります。
病気と闘うのでなく、それを受け入れて順応して、たまにはそれを
健康のバロメーターにするという考えですね。
「一病息災」というまことに賢い病気との付き合い方でしょう。

急性の「病気」や「怪我」は闘う価値があるでしょう。
でも不治の病なら受け入れて仲良くする方が自分に対して疲れません。
病気を他者として、また悪いものとして「闘う」という行為は
それ自体疲れますでしょう?

「操作」するという行為は「管理する」という事でもあります。
一方が他方を「支配する」という事にも繋がるでしょう。

病気の自分を労る。「今日は具合は如何?」と自分に聞く。
「操作」するよりこの方が自分に優しいと思うのです。
常に自分を労って体と相談しながら歌うという事の方が
「歌う」という行為にはなんだかふさわしいかも知れません。

前々回にも書きましたが、筋トレだって自分の体に聞く事を忘れると
自分と相談するというクセをつけることが出来ません。

これにはもっと大きな意味も含まれているのです。

漫然と歌詞を歌っていませんか?
その背後にある意味や人にそれを伝えるという意志を感じていますか?
作者の意図を正しく反映させていますか?
演奏者の義務や役目を果たしていますか?

歌詞と相談しながら歌う」という考えは
これが前提なのです。
歌詞と寄り添って歌うのが歌だと私は思っています。

「喉の運動会」になっている歌手が時々居ますね。
自分の声や技術に酔いしれて何も伝わらない歌・・・
スキャット専門にすればいいと思いますが。笑






posted by キミコ at 23:37| Comment(2) | TrackBack(0) | 歌 関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月10日

賢い練習方法

136910400_238.jpg

練習方法というけれどこれは賢い休み方についてです。

生徒さんが立て続けに3人も続く日はさすがに声が疲れます。
生徒さんに見てもらうためにオーバーアクションが続くので
筋肉疲労がかなりなものになります。
声も出しますがそれより喉以外の筋肉疲労で声が疲れてしまうのです。

そうなると声帯を縮める低声部、続いて声帯を伸ばす高音部の順に
出しにくくなってきます。
鎖骨周辺も触ると凝ってきます。

ろくに歌っている訳でもない私がこんな風になるのですから
きちんと声を出して練習する人はもっと疲労しているはずです。
声帯が軽く充血してくると声が出しやすくなって来るので
つい乗って歌ってしまいがちです。

でもその状態を長く保たせたいのなら30分ほど声を出したら
10分は沈黙を守ります。
充血を少し収めるために声帯を使いません。
生ぬるい水を飲んで熱を下げます。

歌詞を読んでとも思うのですが、それをするとつい歌ってしまうでしょう。
出来るだけ歌から離れて他のことをするのが良いのですが。
例えばストレッチや軽い筋トレをして時間を稼ぎます。
歌を歌うという行動は非常に贅沢に時間を使うものなのです。
ヘタに時間を節約しようとするとそれが翌日に疲れを残します。

ピアノ科と声楽科の友人達を比べるとすごく性格の違いを感じますよ。
ピアノ科の人たちは練習に6時間以上時間を費やすのが当たり前で、
その為に一緒に長時間遊ぶということが出来ません。

声楽科の友人達とは飲み食いして散々おしゃべりして、練習といえば
1時間もやれば休むという名目でまたのんびりと飲み食いです。
風邪を引いたと言っては休み、風邪を引きそうと言って休み、
寝不足は敵だと言っては休み・・・・
カリカリしてはまさしく歌えないので「楽器」の取り扱いは大変です。笑

脱線しましたけれど余り根を詰めるのが一番精神的に疲れます。
疲れは必ず喉に来ます。
一番確実に早く疲労を取りたければ横になることです。
出来れば10分ほど睡眠が取れれば言うことはありません。
横になったままごろごろと転がって身体の力を抜きます。
身体の中に凝りや痛みの感覚を見つけたら自分で撫でましょう。
リラックスして頭から一時歌を追い出します。
うまく一時歌を忘れることが新鮮な気分を取り戻してくれます。





ラベル:練習方法
posted by キミコ at 21:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 歌 関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月02日

再び大きな声についての考察

413208614_71.jpg

以前に書きましたが声量の増大についてを再び考察してみたいと思います。

これも前回に絡めてお悩みとして聞かれたことなのですが、
「今はとにかく大きな声で、ということを意識してしまいます
大きな声と響く声は違う、腹から出す声も、ただ大きな声という訳では
ないのでしょうけど。それでただただ大きければいい、
という感じになっています。」

丁度タイムリーな質問となりました。
この2ヶ月ほどずっと発音について長々と述べたのは
実はこのことだったのですもの。

私はこの方にこう言いました。

「詩っていうのは大事な言葉ばかり並んでいる訳ではないですね?
大事な言葉を印象づけるために振られた言葉もあるわけで、
そういう言葉は少し声を落とせば良いんです。
大きな声で歌うばかりでは何が大事な言葉なのか伝わりません。
どれが大事なのかを伝えるための歌うという行為なのですもの。

後『大きな声』じゃないんですよ。ブログにあれだけ長々と
子音について解説したのははっきり発音して下さいという事です。
『はっきり』と『大きく』は違うことはおわかりだと思いますし、
浅く大きな声でなく深く丁寧に歌うんです、または語るのです。」

子音を発音する時にかなりの息の量が必要なことは良く読んで下されば
あちこちに嫌と言うほど書いてある訳です。
母音の前にある子音をはっきり出そうとすると、続く母音は大きくではなく、深くなるのです。

私はレッスンの時に生徒さんによっては、いきなり発音練習を
始める時があります。
喉を開けるということがわからない人には絶対にしませんが、
ある程度声が整い、でも声量がもうちょっとという人には実施するのです。

強烈な母音練習から子音練習に入る頃には、すっかり息が整って
インナーマッスルを使うなんていちいち説明の必要もなく、
はっきり発音することに気を取られている隙に、勝手に声量も上がり、
ロックやジャズの人たちに必要なシャウトの練習をしている
ということになっています。

一番避けなければならないことは喉声になりやすいことと、声が胸に落ちて
くぐもってしまうのがくせになる
ことです。
それがどんな声なのかわからない人が、勝手に実施しても責任は取れません。
自分の身体と対話してその声がしんどいかどうか聞ける人でないとだめなのです。
気持ちの良い声は発音し終わってすかっとする、または
肩の荷が下りたような爽やかさと表現されるでしょうか。

歌は自分との対話でもある訳で、常に自分の声と身体への当たりを考えていなければならないのです。

これはナレーションや朗読をする人にも言える事ですね。







posted by キミコ at 17:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 歌 関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

歌に感情を乗せる

401565652_177.jpg

最近ある方に聞かれたことがあります。
その方は路上ライブをしておられるのですが。
表現力ということを考えるとわざとらしくなってしまわないか、
また声を実際どうすることなのかわからないです。」
と言われるのです。

情景や匂いなど想像して歌ってみて下さい。
とはよく言われることですね。
その言葉一つで「はいそうですか」と歌える人には不幸にして
出会ったことがありません。笑

もちろん詩の読みが足りないからなのですが、
あなたがある単語の中に何を籠めたいか
ということに最終的にはなるでしょう。
国語の時間に「この文章中で一番大事なところはどこでしょう」と
聞かれませんでしたか?
その大事なところが目立つように歌えばよい訳です。
でも怒鳴る訳でも無いのです。周りの言葉よりくっきりと目立てば良いのであって、
案外そこだけ小さく歌うということも有りでしょう。
耳をそばだたせるのも「目立つ」という行為なのですもの。

言葉を生かすということでもう少し突っ込んでみましょうか。
例えば「哀しい」という言葉を言う時の息づかいはどうでしょうか。
大声で叫んで「哀しい」場合もあるし 
うんと控えて涙混じりに「哀しい」事もあります。
つまり息の使い方ということになる訳ですね。

哀しい」でどういう時に使うかという設定を自分で考えるのです。
何種類も何十種類も思いつくままに言葉を使う可能性を探ります。

歌はお芝居でもあるし、落語のように声を使い分けることもしなければなりません。
歌うだけではだめなのです。
読んで演じてみることです。クサい方が歌に似合うこともあるし、
自然に歌った方が良いこともあります。
それはすべてあなたのセンスに任されるものであって、
最終的にどれを選ぶかが「あなたの歌」なのですね。

だから歌の先生に自分が考えた何種類も聞いてもらって、
どれが素敵かを教えてもらうのが良いでしょう。
先生の趣味を押しつけられるのは余りお薦め出来ませんね。
いえ、先生でなくても良いんですよ。
耳の肥えた人に聞いてもらえばいいんです。

決して「教えて」もらうものじゃないのですよ。
聞いてもらってどれが素敵なのかという意見を聞くのです。
自分の耳ではわからないことを言い当ててくれる人でないとだめです。
自分の意見を持たずにレッスンに臨むべきではありません。
忽ち先生色に染められてしまいますからね。

但しクラシックの場合はこの限りではありません。
様式美の追究とか時代性も加味されるので、一筋縄ではないでしょう。


posted by キミコ at 17:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌 関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月08日

フレーズの納め方A

750_1.jpg

私は自分がクラシックで育っているからかも知れませんが
「邦楽」を聞くと納め方がとても気になるのです。
確かにクラシックとは違って何でもありの世界ではあるとは
思いますが、
聞いてきて歌詞の中身とはそぐわないだろうと言いたく
なるような切り方をする歌手が多いですね。

一番多いのが喉で切る形です。
いかにもばっさりと無造作に切るのは聞いていて
喉が痛くなります。
それは声の健康を損ねる事は既に書きましたので
覚えておられますね。
聞き苦しいし、切り方が如何にも乱暴だしその切り方を続けていると
すっかりクセになって抜けなくなる事が怖いです。
しかもその切り方でフレーズを全部納めると単調です。
きちんと考えられた納め方を是非工夫して欲しいなと思います。

演歌なら声をまっすぐに伸ばさないで揺りを入れますね。
ずっと喉を開けっぱなしにすると形にならないので
喉を絞めたり開けたりと変化をつけると健康も損なわれず
声の伸びが美しく気持ちよく聞けますね。


フレーズの納め方は余程工夫をしないと歌詞を壊しかねません。
それは歌詞に余韻を与える役目が科せられているからです。
歌詞の間の短い切れ目であろうが長いフレーズの最後であろうが、
その切る長さを工夫するだけで歌詞がグンと生かされる事があります。

普段の会話でも例えば語尾を上げると喧嘩でもしたいのかと
思う事もあるし、反対に下げると随分優しく聞こえる事もありますね。
言葉の最後を長く伸ばすと面白く聞こえたり柔らかくなったり・・・
会話に色を付けるのは全て語尾です。
それを歌にも生かせば驚くほど歌が生きる場合があります。

それに付随して強弱も考えればもっと変幻自在になるでしょう。
大事な言葉の周りはわざと小さくしてみたり、
納め方の最後の言葉を大きく終わったり小さく終わったり
する事も変化をつける事になります。


今日はボイストレーニングからはみ出たかも知れませんが
こういう工夫も歌の醍醐味と思うのです。
posted by キミコ at 23:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 歌 関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月07日

フレーズの納め方@

84_1.jpg

前回は歌い出しについての話をしました。
今回はフレーズの納め方について書いてみたいと思います。

息継ぎの前や歌い終わりについて皆さんはどの位配慮をしていますか?
生徒さん達をずっと見ていた経験から言うと、呆れるほど何も
考えていない人が圧倒的だと思います。
恐らく詩の解釈もなされていないからだとも思いますが、
無造作な扱いになっている場合が多いようです。

前回の歌い出しについての記述をご覧頂くとおわかりでしょうが、
書き出してみると非常に複雑でしたね。
初めがあれば終わりがあるのは何に置いてもそうですが、
歌についても変わる所はありません。

歌の最後の部分でない限り息継ぎの次は歌い出しに繋がる事を
忘れてはいけません。


私もかなり以前ですがこの事に思い至って妙に納得しました。
曲の歌い出しについては自分でもかなり意識してやるのですが、
何度も来る息継ぎの次に来る歌い出しについて余りにも
無造作だったからです。
なぜなら途中で息が足りなくなって最後の音になると息切れをしたりという箇所が
必ず歌のどこかに潜んでいたのですから。
きっと心当たりのある方が多いと思います。

この対処法ですが、息の最後で必ず口を閉じないといけません。

とこんな風に書くと、そんな事当たり前じゃないか!と思われるかも知れません。
またはそんな事気にした事がなかった!という方も居られる事でしょう。
案外無意識のうちに処理されている事が多いようです。

楽譜を見ながら歌っている方なら、息の最後にアンダーラインを引きましょう。
その箇所で確実に口を閉じているでしょうか。
歌詞を見ながら歌っている方は、特にきちんとラインを引いて下さい。
まず殆どの人は口が開いたままになっているはずです。


ちょっと試して頂きたいのですが、

口を開けたまま息を吸ってみて下さい。
次に口を閉じて意識して鼻から吸ってみて下さい。

どちらがきちんと吸ったという満足感がありましたか?

以前に(1/10参照)息を吸わないでと書いた事があるのを
覚えておられますか?
矛盾してると思われた方、記憶の良さを誇って下さって良いですよ。

その通り!単に思い切り吸うという意味ではもちろんありません。
必ず肋骨や肩胛骨を膨らませる、横隔膜を下げる、などの
一連の筋肉運動を伴って下さいね。

口で息を吸って筋肉運動をするのと、確実に口を閉じた上でそうするのと
どちらがた易いでしょうか?

どれだけ確実に意識化させた上で行動する事が大事かおわかりでしょうか。

posted by キミコ at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌 関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月03日

テープによる練習

4-16-1a.jpg

うんと若い頃の事ですが、発表会の前に伴奏者と練習をして、
それを録音したことがありました。
聞いてびっくり!
とてもうまくいっていた筈だったのに音は間延びするわ、
息は苦しそうだわ、何よりも歌詞が聞こえないわ・・・
本当にがっかりした覚えがあります。

私の年代というのは何事に於いてもそれまでになかった物や
時代感覚、価値観の先端を切るという運命があるようです。
テープレコーダーに会えたのが中学生でしたから
そりゃあびっくりの代物でした。
録音なんてそれまでの生活には考えられないことが
手軽に出来るとあって生活革命とでも言える物だったでしょう。
但し高価なものでしたから実際に自分が使うのはもっと後年でしたが。

何とかテープを聴きながらのレッスンをするようになったのは
大学生になってからだったと思います。
つたない演奏を聞く度に心の底から才能がないなという
情けない思いと、嫌な声だという嫌悪感しかありませんでした。

それが打って変わったのは友人に伴奏を頼んでからでした。
彼女は同級生ですが非常に音楽性豊かな人で、私の演奏に
色々忠告をしてくれるのです。
それを何とか聞きながら試行錯誤してみました。

私のジャンルはクラシックで、歌曲が好きなのですが
ピアノと歌で一つの曲を形作って行くもので、ポップスとは違って
「伴奏」とはいっても重要な位置を占めているのです。
だから伴奏者との解釈についての討論に要する時間は
とても大事な物なのです。


彼女と伴奏あわせをしながら丸一日を過ごしたことがあったのですが
その間彼女はずっと曲の解釈について考え続けているのに
私は心底驚きました。
何しろ私は出来ないとなったらさっさと止めたりあきらめたりという
情けない人間でしたから。

彼女の曲の解釈は悔しいけれどいちいち的を得た物でした。
それに対して自分のふがいなさをしみじみ感じて、
何度私は自分に対して涙したでしょう。
彼女に対して報いるためにも私は曲に打ち込みました。
それでテープによる練習に切り替えたのです。

出来ない小節を何十回もやり直して、曲の解釈について討論して・・・
そのお陰で発表会は自分でも驚くようなできばえとなりました。

それからは録音しながらの練習は私にはごく当たり前の事に
なりましたが、一方危惧もありました。
録音ばかりに頼り切って良いものだろうかとも・・・・
録音しなければひょっとしてマトモに歌えないんだろうかと。

何しろ聞き直すのですから膨大な時間を費やすわけですからね。
そしてその時の自分の身体の中や口の開け方や
発音をどこに重点を持ってきたかとか呼吸はどうだったかとか。
いちいち状態を記憶するのも神経をすり減らす作業ばかりでした。

特に歌曲はまるで落語のように声色を使い分けたり、
歌詞の解釈に応じて声のトーンを微妙に変えたり
本当に繁雑な作業なのです。
しかもそれが思い通りにいかない!
息が足りないから解釈を断念して自分の出来る範囲の物に
変えることも多々ありました。その悔しさったらないですね。

そして何よりもその時には満点だと思っていても
聞き直せば解釈の青さに笑ってしまったり・・・
人間は進歩し、年と共に思いも変わるものと思わされます。

歌は奥深いですね。

続きます

ラベル:歌 録音
posted by キミコ at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌 関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月01日

主観的な声

4-16-7a_small.jpg

私たちは自分の声を聞くには骨伝導を通す以外はないので
きわめて主観的な聞き方しかできません。
つまり外部から音を聞くようなわけにはいかないからです。
そして骨伝導だけでは自分の出している声の音量や
音程や発音のあやふやさなど知るべくもありません。

今は有り難いことに録音機が発達していますから
それもごく普通なことなのですが私の先生達の世代は
テープレコーダーさえない時代でしたから
どんなに練習するのに大変だったかと思います。

何しろ骨伝導を通して自分の声を聞いているので
人に自分の状態を聞くという手段しかない時代でしたからね。
だから頻繁にレッスンがあったと先生に聞いています。
そうでもないと自分の声を掴むことは出来ませんもの。

その昔中世ヨーロッパの音楽院では午前中は講義など
一般的な勉強をして、午後は教会や聖堂に行って
その音反射を利用して練習していたと何かの本で
読んだことがあります。
確かに効果的な練習が出来たことでしょうね。

今はこうして録音機をみんなが持てるわけですから
そんな時代に比べたらさぞうまいだろうと思いますが、
一概にそうとも言えないかも知れません。
なぜならその人の音のセンスが悪ければ何もなりませんからね。

基準となるものを知らないわけにはいきませんし
そのためにはやはり教師や音楽をわかる人に意見を聞くことは
必要なことです。とにかく音楽的経験を積まねばなりません。
これに関しては今も昔もないのです。

今は世界中の音楽を聴けますし、新しいものも古いものも含めて
ジャンルに偏らずにとにかく良いものも悪い物も混ぜて
聞きまくること!
段々自分の中で淘汰され、自分の好みやスタイルも
わかっていくことでしょう。


声の大きさに関してですが、
静かな環境ではもちろん大きな声は必要ありません。
でも耳の遠い人と暮らしていたり小学校に勤めたりしていたら
それこそ周りに負けまいとして声を振り絞ることになって、
つまり自分の限界を超えて忽ち音声障害を起こして
しまうことになります。

自分の声を客観的に掴めない状態になってしまうと
こんな事にもなってしまうので注意が必要です。
何しろ一度壊れた声帯は元には戻りません。
私も自分の先生が高齢で耳が遠いために、レッスンには
普段の倍以上の声が必要でした。
頻繁に通っていたとしたら大変なことになっていたでしょうね。

また明日に続きます
ラベル:声 骨伝導
posted by キミコ at 23:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌 関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする